あだなみ。アルイハ重箱ノ隅

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良夜
ひとそれぞれ書を読んでゐる良夜かな
           山口青邨の句
 
今年の中秋の名月は随分遅く10月1日の夜。ただし天文学での満月は翌朝6時5分で、その時刻には月の入りを過ぎて陽が昇っており真の満月は見られない。とはいえ偏屈者でない限り、中秋の名月を見上げて良夜を愛でることは疲弊した心身恢復の一助になろう。
出来れば天候に恵まれ感動するほどの月夜を体感してみたいもの。
生涯にかゝる良夜の幾度(いくたび)か  <福田蓼汀>
ただ何をもって良夜とするかは人それぞれ。奇怪な風習としては、満月の夜に、財布をからにして振ることで金運アップを狙うなんていうのもあるらしい。冗談半分、本気半分で貧乏学生が寄り合って興じたりするのだろうか。
真面目に信仰にたずさわる者なら、秋の夜長にしっかり功徳を積まんと励みたいものだ。名句をもじって一句捻るのも一興かな。「ひとそれぞれ●●してゐる良夜かな」と。
[2020/09/30]
ホロコースト
ユダヤ人の殺戮をさすのに《ホロコースト》なる言葉を選んだ人は、その意味を考えたのだろうか?  おそらく永遠に分からない。だが、言葉とは言い出した本人が思った意味になるとはかぎらない
 
サンティアゴ・H・アミゴレナ著『内なるゲットー』(齋藤可津子訳)より。
 
昔から生け贄、神々への供物を指すことばとして《ホロコースト》はあった。それがナチスによる大量虐殺を指し示す言葉として使用された端緒や経緯は知らない。この本の著者もご存じでないようだ。しかし他にも当初使用された言葉があったのは確かだ。
ナチス当體はさまざまな言い方をし、上層部によるヴァンゼー会議からは《最終的解決》という言葉を使っていた。当初国連で採択された《ジェノサイド》はポーランド出身ユダヤ人による合成語。しかしこちらはユダヤ人虐殺だけに限定されない用語に変わっていく。そのほか、《フルバン》とかフランス発の《ショアー》等も登場したが最終的には英語圏の人間が提起した《ホロコースト》に固定化していったらしい。
どこで仕入れた情報か失念したが、英語でユダヤ人虐殺をさす時は The Holocaust と定冠詞付きで表現するという。日本語ではその「ザ」は無視してしまって、古来の意味でもユダヤ人虐殺の場合でも等しくホロコーストと呼んでいるのだ。グローバル社会に生きねばならない現代と未来の日本人は何でもかんでも何となく英語(多くは米語)由来のカタカナ語に支配されていることをもっと自覚したほうがいい。
[2020/09/01]
生麦酒
永劫の迷子のための生麦酒
 
橋本直句集『符簶』より。
生ビールは何のために存在するのか。飲酒を嗜む人間にとっては、仕事後の、とりわけ夏の夜の清涼飲料だが、別の見方をすれば国税の重要財源のひとつとも言えるし、掲句のごとく、煩悩に迷いつづける手段でもある。
立場が変われば一つのモノや場所が全く別の意味を有するように見えるのだ。八月十五日はわが国にとって敗戦記念日であり戦没者追悼の日。外国からすれば対日戦勝記念日となり、韓国や北朝鮮にとっては、日本の統治から解放された国慶日。願わくば、身内の戦没者・戦争犠牲者のみならず、立場を超えて一切の霊位に哀悼唱題を捧げたい。
[2020/07/28]
松贄林寺
ふと目を開ければ/カカルポ白く/あえぐ息の中で安らかに/バターの灯明を/香格里拉(シャングリラ)に見る/松贄林寺(しょうさんりんじ)の朝
 
佐々木久春の詩『出羽からヒマラヤへ』の一節。
松贄林寺と一字違いの松賛林寺は雲南省の有名観光スポットというから、もじったのか。それならば「贄」字とは意味深でバターの灯明も関聯するのだろ。またシャングリラは2014年以降は実在するものの、元は"イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称"(""内はWikipedia情報)。カカルポは全く不明。嗚呼、無知に還って詩をよむばかりも愉し。
[2020/07/20]
怨を結ぶ
今我れに怨を結べる輩は・・・
 
日扇聖人『祖書拝要』上欄書き入れの一節。
怨まれるほうは一般に「怨みを買う」と言い、怨んでいる相手のことは「怨みを抱く」等と表現することが多い。怨みを結ぶとの謂いは極めて仏教的だ。中国語としての「結怨」の場合は怨みを買う側を指すようだが、日本語としての用例は見当たらない、つまり独特の用法といえる。もともと仏法では同音の「結縁」があるが、縁を怨に替えても尚、怨という名の縁で繋がるという因縁談義が横たわっているのだ。
[2020/07/16]
転がる石
おおこの斜面、恋人よ、ぼくらはここをやすみなくころげおちる、
 
かつてアウシュビッツの地獄を生きたパウル・ツェランの詩「斜面」の一節。
転がる石というモチーフは古今東西、繰り返し用いられてきた。近くは石川さゆりの唄に「転がる石」があった。さりながら、そんな石の恋人たる「斜面」あってのことだろって斜面を称え愛するパウル・ツェランはやはり偉大な異才だ。
1日1冊を参照。
[2020/07/14]
曼荼羅華(まんだらげ)
天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨(ふ)らす。
 
お釈迦様が法華経の説法をまもなく始められるという時に、天から降り注いだ吉兆4種の華の1つ。
仏教では白蓮華・大百蓮華・紅蓮華・大紅蓮華の4種の蓮華をあらわしているとするのだが、なぜか現実世界の日本では夏に咲く朝鮮朝顔の別名となっている。園芸用にはダチュラの名で広く流通しているほか、キチガイナスビ(気違い茄子)の異名もある、毒性の強い花。どんな経緯で、高貴な華がそんなことになったのかは全く不明。ちなみに、3つ目の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は彼岸花の異名として有名。
[2020/07/10]
圊厠  (せいし)
圊厠に没在するに、唯一髪の毛頭のいまだ没せざる有り。
 
※圊の字は、部首くにがまえ(囗)の中に「靑」(あお)。
・・・これ涅槃経というお経の解説にある一文(出典は『法華玄義釈籖』)。圊厠の2字はどちらも「かわや」で便所を意味する。便所に落ちた人があったと想いなさい。すっかり水没というか埋もれそうになって唯、髪の毛が1本だけまだ没しないで出ているとしたら、という設定の話。もう助けようがないことを説くための例え話なのだ。大真面目に解りやすい譬喩を示したわけ。太古では、万人によくわかったんだろうね。悲しいけど。
[2020/07/08]
頬刺し(ほおざし)
「何なんだろうね、あの人は」
 苛立たしげに毅は夕ご飯に出た頬刺しを食べながら言った。
 
・・・今日読んだ小説『はんぷくするもの』の一節。目刺しみたいなものなんだろうか。ググってみると、鰓(えら)刺しの別名とあり、目刺しの類似品らしい。さかなの種類としては、鰯(イワシ)等とあって又々解らなくなる。イワシでも更に種類によって目刺しと呼んだり頬刺しと名乗ったりする例も多いらしく、結局、目の前に供された時に尋ねてみるしかなさそうだ。
[2020/07/05]